読書のすゝめ 2
前回からの続きです。
ちょっとしたネタバレも含みますので、注意してください。
では、マークトウェインの『人間とは何か』の概要から…
1906年に書かれたこの著書は、トウェインにとっては晩年の著書でした。(60歳前後に書き上げたとか…)
彼の晩年の思想はペシミズム(悲観主義、人間不信など)だったと言われています。
原因は借財であったとか親近者の逝去であったなどと言われています。
アメリカの歴史を掘り下げていくと色々と推測できそうで楽しそうですね!
それはそうと、早年は『ハックルベリーフィンの冒険』や『トムソーヤの冒険』など、
比較的明るい風刺小説が彼の代名詞となっているので対比的に見ることができそうです。
また、この著書は訳される時点で6章で構成されています。
主題から具体例そして結論、と英文固有の典型的構成です。
では内容に入っていきます。
この著書の主題とはもちろん
題名にもなっている
”人間とは何か”
です。
英語のエッセイでは、主題で結論を語るのは知っての通りですので、
早々と結論付けています。
では人間とは何なんでしょうか。
彼の結論は…
「人間とは機械である」
です。
ここでの”機械”とは「外部の作用(はたら)きかけによってのみ動くもの」と内容から推測できます。
それはどういうことかというと、
人間の行動を決定するのは心であり、
心とは”ただ外部から動かされてだけ作用(はたら)く”もの。
つまり、人間は自動機械的思考のみを行うものであるということです。
そこには創造性の余地など全くなく、外部からの働きかけによる産物でしかないと語っています。
ここでシェイクスピアの具体例が挿入されています。
「シェイクスピアですら創造することはできなかった」
それはなぜかというと
もし彼が「無人不毛の岩礁に生まれていたら」どうなるだろうか、ということです。
そうなると、人間関係の喜怒哀楽を描くような演劇を創作することはできなかった。
つまるところ、
シェイクスピアは「イギリスという国の持つ理想、影響、教育からくる外からのもに助けられていた。
それによって考えるかぎり最高の水準に到達」したものである、と言えるのです。
このような展開によって、人間を機械(=外部からのみ作用できるもの)と定義づけたのです。
こう言った具体例(無神論者の例、双生児の例など)をはさみながら最終章まで人間=機械を立証していきます。
この本の面白いところはこの具体例で、なるほど!そう考え得るな!と思わせるとこでしょうか。
続きは是非、お手に取ってみてください。
次回はトウェインの小説『王子と乞食』について書いていきます。
ありがとうございました。